いのちとは自分が使える時間
先日図書館から借りてこちらの本を読みました。
明日をつくる十歳のきみへ 一〇三歳のわたしから [ 日野原重明 ] 価格:1,188円 |
いのちとは
冒頭に「いのちとはなんだろうか?」という問いかけに「いのちとは自分が使える時間」との言葉がありました。
子どものうちはそれを自分のためだけに使います。
成長して大人になったら、自分の使える時間を少しでも、自分のためだけでなく、ほかの人のためにも使ってほしいと思います。
長生きすればするほど、人のために使える時間がそれだけふえる。長生きすればするほど、もっとたくさんの時間を人のために使いたくなります。それが生きるということなのだと私は思っています。
今私は生きている
この一説を読んで、はっとしました。
「一人時間がほしい」「静かな時間がほしい」と欲してばかりの自分を。
中断中断の連続
「お母さーん!!」と呼ばれて自分のことを中断することの多い日々。
家族のための家事
食事の支度や掃除など、家族のために自分の時間を使う日々。
プライベートな時間は皆無
何かしていると「何しているの?」と聞かれ、トイレにいても話しかけられ、家にいる間にプライベートなんてあるんだろうかと感じる日々。
…、これがいつまで続くのだろうと、出口の見えないトンネルの中にいるような気持ち。
でもこれが生きているということだったのだと気づかされました。
ここに今の私の幸せがたくさん詰まっていたのですね。
自分の時間を人のために使う
- スマホを置いて、子どもの顔をいつもよりよーく見てみる。
- 子どもが笑っていたら楽しい気持ちを共有する。
- 大好きだよと伝える。
- 子どもたちの体にふれてみる。マッサージする。ハグする。
かけがえのない今という時間。
私の今の時間を、たっぷり子どもたちのために使ってみようと思えるようになりました。
面倒くさがらずに丁寧に。
日々を大事に過ごしていきたいです。