「決めたこと」は変えられる
先日の朝日新聞の「be」に、前田司郎さんの記事が載っていました。
子どもの頃はピーマンが食べられなかった。
ピーマンはまずいものだと決めつけていた。が、今は好きだ。
「決めること」は「知ること」であり、「知ること」は「決めること」。
自分が知ったこと、決めたことを否定するのは難しい。
しかし、嫌いな人やモノがあって不便だなと感じたら、本当に嫌いかどうかを疑ってみるといいかもしれない。
なぜそれが嫌いなのか?実はただそれに関する情報が不足しているだけなことが多い気がする。1回食べただけでは判らない。10回食べても判らなかったら100回食べてみるとよい。
つまり結局人は、判らないものを嫌いになったり好きになったりするわけだから、どうせだったら好きでいる方が幸せだと僕は思うけど。
自分由来のかたくなさや決めつけを排除して接すれば案外容易に好きになれると、僕は経験から学んでいる。
「決まったこと」つまり真実は変えられないが「決めたこと」つまり真実であると仮定したものは変えられる。そしてたいていの真実は仮定に過ぎない。僕たちが誰かを嫌っていたり、憎んでいたりする根拠は、仮定された真実に過ぎない。変えられる。
記事の抜粋です。
今までいろいろな人に出会ってきた中で、「自分とは感覚の違う人だな。」とか、「なぜそう受け止められてしまうのかな。」ともやもやしてしまうことは少なからずあります。
食べ物でいえば「食わず嫌い」になるのかな。
でも今思うと、そう決めつけていたのは私だったのですよね…。
出来事は変えられないけれど、受け止め方は変えられる。
もやもやすることも、自分を成長させてくれるチャンスだと受け止め、ひらりひらりと乗り越えていけたら素敵だろうなと思います。
散歩中に見つけた素敵なお花。このオレンジの花、台湾に来てよく見かけます。